西暦240年頃の推定勢力図

卑弥呼が魏国に使者を派遣した頃の日本の勢力図はどの様であったのだろ うか。2006年に『謎解き日本史詳説•古事記』を上梓した際に、その挿 絵として思い切って推定して描いてみたものです。 邪馬台国は、九州の西都市付近にあったとし、西都原古墳群の中心にある 女狭穂塚古墳を卑弥呼の墓と想定していました。 今考えると、女狭穂塚古墳は、考古学では五世紀前半の築造とされており、 卑弥呼の墓と考えるには無理があります。宮崎市大字跡江にある生目古墳 群の1号墳は、箸墓古墳に類型の3世紀築造と推定されており、これが相 当するかもしれないと思っています。 『魏志倭人伝』に記された人物が記紀に登場するどのキャラクターに対応 するか推定し、邪馬台国に従属すると記された国は、およそどの位置に あったか推定して記しています。 敵対関係にあった狗奴国は、熊本県、鹿児島県の位置にあったと考えてい ます。